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GGSCはUS Natinal Academy of Engineeringなどをスポンサーとするイベント。次世代の技術者や政策担当者を奨励し、また一般の人々に対して人類が直面しているテクノロジーの進展状況を伝えることが開催目的とされている。
プレゼンテーションの中ではOculusの具体的成果として、同社の最新のハンドコントローラーのデモ動画が公開された。
しかしAbrash氏はこのほかにも将来的な「VRの大いなる挑戦」を考える上で、またそしてVRの可能性を考える上で改めて振り返るべきVRの本質についていくつかの指摘をおこなっている。
そのうちの1つが「あらゆるリアリティはバーチャルなものだ」という同氏の発言だ。
発表冒頭でAbrash氏は次のように語った。
「我々の経験するリアリティとは、とても不完全なデータに基づき、我々の心の中で作り出されたものなのです」
「不完全なデータを基盤とする」とはどのような意味か。
Abrash氏によれば、私たちの心は世界を認識する際、文字通り「現実を反映している」というわけではない。つまり我々が認識するイメージとは、「現実」に対して心が幾らかの「推測」を加えた結果生じた像なのである。
こうした推測が最も顕著に観察されるのが、錯覚現象である。
例えば十分に明るい光源の下に置かれたグレーと、比較的明度の低い影の中に置かれた白色が存在する場合。その状況下では両色共に「グレー」の色情報を持っているにもかかわらず、私たちの心は2つの色を別々に分けて、つまり「白色とグレーがある」といった風に認識してしまう。
錯覚現象は色情報に関するものに限定されない。特定の図形に対するサイズ認識などにも当てはまる。
上記の動画では、それぞれ違う大きさに見える2組の平行四辺形が、一方を回転させて移動してみると、実は同じ大きさの図形であったことが分かる。
Abrash氏によれば、このように「心が推論に基づいて生み出すイメージ」という点こそがVRにとって本質的なポイントなのだという。
つまり
「我々の経験するリアリティとは、ソースに関係なく、我々の心が知覚へのインプットに基づいて推測するものです」
「だからもしVRが正しい知覚入力をもたらせば、私たちは、私たちが経験したいものをなんでも入手できるし、またそれらの経験は現実のものとして感じられるでしょう。――――それらは真なる経験といえます」
Abrash氏は、彼がこのことを理解したのはVR空間において落下体験をしていた時のことだと語る。
意識の上では当然落下体験をしているわけではないと気付いていた。しかし彼自身の「リアリティ」は、彼が「落下の危険性の渦中にいる」というバーチャルな事態をリアルなものとして認識していたのだという。
これらのAbrash氏の発言について、特に新鮮味を感じないという人もいるだろう。
確かに、先述のように今回のプレゼンテーションではOculusの開発する最新のハンドコントローラーのデモ動画など具体的な成果を発表することがメインだった。
そして今回紹介したAbrash氏の発言はその導入部分でしかない。
そのため新規性のある研究開発の話より、刺激的な話を優先して盛り込むことでオーディエンスに興味喚起を促すことが目的だったのだろう。
要するに今回の話はプレゼンテーションの本題ではなく、あくまで「前座」であり、ことさら持ち上げようとする必要もない。どこかで聞いたような話が繰り返されているにすぎないことも事実だ。
しかしそうしたオーディエンスに向けて発表したメッセージだからこそ、既にVRを詳しく知っている人も「そもそもVRの本質とは何か」について改めて理解しやすいのではないか。
つまりVR、バーチャルリアリティとは技術の革新性によって生み出された全く新しい知覚体験であるというよりは(確かにそれも事実ではあるのだが)、むしろ、そもそも人間の知覚体験が生み出すリアリティとは、心の「推測」により生み出された「バーチャルなもの」だということだ。
その意味ではマクルーハンではないが、VR関連デバイスの存在は人間の知覚体験にまつわる本質的な「拡張」だとも言い得るかもしれない。
こうしたVRの「本質」への洞察が、これからのVR市場の将来性、またVRというテクノロジーの重要性を再確認する際に改めて重要になる予感がする。
参照URL:
Oculus ブログ
https://www.oculus.com/blog/vrs-grand-challenge-michael-abrash-on-the-future-of-human-interaction/
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