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・迷い猫を捕獲してはいけない
・猫の売買を禁じ、犯した者は共に成敗する
江戸時代になると、慶長7年(1602)に京都所司代が「猫放し飼い令」を発布しました。それを受けて、ある下級公家が書いた「時慶記(じけいき)」と呼ばれる日記には、「飼い猫が行方不明になったり犬に噛まれて死ぬことが増えている」と、自由になった猫たちの悲劇が嘆かれています。
いずれにしろこの放し飼い令により、猫は一気に庶民の生活の中に入り込み、かつ自由に外に出す飼い方が定着したようです。
平成の初め頃まで続いた放し飼いでしたが、日本にも徐々に動物愛護や動物福祉に関するグローバルな考え方が浸透していきました。
明治25年(1892)に保護鳥獣を定めた狩猟規則が制定されたのを皮切りに、徐々に動物愛護に関する法整備が進められ、昭和48年(1973)に「動物の保護及び管理に関する法律」が制定されました。この法律は平成11年(1999)に改正され、現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」となりました。
さらに「HAB(ヒューマンアニマルボンド)」(人と動物の絆)の考え方の流入などにより、「ペット」だった猫たちの立場は、一緒に暮らすパートナーや家族といった「伴侶動物」へと変わり、猫の暮らしを大きく変えました。
猫に対する福祉が考慮され、猫が猫らしく生きていくために必要な飼い主に求められる知識を積極的に学ぶ飼い主が増えていったのです。
また地域住民の理解の元、野良猫を捕獲し、避妊・去勢手術を行ない、元の場所に戻して地域全体で一代限りの生を全うさせる地域猫活動が全国的に広がり、猫の殺処分数も確実に減少してきています。
最後にご紹介するのは、「日本猫」たちの容姿の変化です。古くから日本にいる猫は、キジトラ猫、トラ猫、黒白のハチワレ猫、さび猫や三毛猫などのはっきりした色で短い被毛を持っていました。また、短い尾の猫が多いのも特徴でした。
そのような日本猫に魅力を感じ、アメリカで作出された品種がジャパニーズボブテイルです。逆に、明治時代には洋猫がたくさん日本に流入しました。洋猫も避妊・去勢手術を受けずに家の中と外を自由に出入りして暮らしていたため、日本猫と洋猫の混血化がどんどん進んでいきました。
その結果、洋猫の特徴である長い尾や、シールポイントや淡い色合いなどの被毛の色柄、長毛などを持つ日本猫が、多く見られるようになりました。
今回は、日本における猫たちの暮らしが、時代の流れと共にどのように変化してきたかについて整理してみました。
猫は人の残りご飯をもらい、自由に外に出て不足した栄養分を自力で補っていた生活から、完全室内飼いで良質なフードにより飼い主から栄養管理される生活へと変わりました。
完全室内飼いは病気感染や事故などのリスクを大幅に下げ、獣医療の発展との相乗効果もあり、安全で健康に長生きできるようになりました。
今後も、人と猫との関係性や生活環境は変わっていくことでしょう。しかし、飼い主が持っている愛猫への愛情は変わらずに持ち続け、お互いにより幸せに暮らしていける世の中が続くように努力したいと思います。