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磁石といえば、多くの人が「N極とS極を持ち、同極同士は反発し、異なる極同士は引き合う」という知識をまず思い浮かべることでしょう。
身近な例を挙げれば、冷蔵庫のドアにペタリと貼り付けるマグネットや、地球の南北を指し示すコンパスなどが代表的です。
しかし、その磁力はいったいどこからやってくるのでしょうか?
高校の物理や化学では「磁力の正体は電子のスピン」という記述がされていますが、磁力の本質をイメージすることは意外と簡単ではありません。
また、大学レベルの教科書でも「スピン」の本質がかなり曖昧な記述がなされており、スピンという単語に忌避感を覚えてしまう人もいるでしょう。
たとえば一般的な高校の教科書では、
電子は自転のような固有の角運動量(スピン)をもっており、電荷をもつ電子がスピンすることで磁力(磁気モーメント)が発生します。
と書かれています。
中学のときに習う電磁力(フレミングの左手の法則)のイメージを発展させた形で、「電荷をもつ物体が回転すれば磁力が生じる」という文脈です。
しかし大学の量子力学の教科書などでは、
「電子のスピン」は電子が実際に回転しているわけではなく、電子が持つ量子力学的な性質に過ぎない。
との記述がみられます。
高校の教科書が言う「電荷が回転するから磁力が生じる」という説明を、より厳密な量子論の視点からみて「物理的な自転」とは異なることを書いているのです。
そのため、初心者向けに書かれた量子力学の本を読むなどして真偽を確かめようとすると、
電子の「スピン」という言葉を聞くと、多くの方が「コマのようにクルクル回っているの?」とイメージするかもしれません。実は量子力学の世界でいうスピンは、古典力学の“物理的な回転”とは異なる純粋に量子的な性質です。しかし、直感的に理解するためには「電子がちっちゃなコマのように、自分自身を軸に回転している」と考えると、ある程度イメージしやすくなります。
と、今度は高校レベルの解釈は実は正しくないものの、そう考えると「わかりやすいですよ」と教えてくれます。
ですが、間違っている解釈を認めるように勧められているようで、これも納得できません。
「結局スピンってなんなの?」という疑問だけが残り続けることになります。
そこでまず最初に、この部分の疑問から解き明かします。
量子力学の視点では、電子のスピンは古典的な回転ではなく「余分な次元における回転」にたとえると理解しやすいかもしれません。
私たちが日常的に経験する3次元空間の回転ではなく、電子がもつ見えない次元での回転が、測定の際にあたかもコマのような角運動量として3次元空間に顕現していると考えるのです。
これは、舞台裏で踊るダンサーの動きがライトを通してステージに投影されるようなイメージに近いと言えます。
舞台裏(余分な次元)でのダンス(スピンの位相変化)が、ステージ(私たちの3次元空間)に投影された結果として、小さな磁石のような振る舞いを示すわけです。
(※実際には電子が本当にぐるぐる回っているわけではなく、あくまで量子力学の抽象的な対称性(SU(2)群)に基づくもので、「余分な次元での回転」が見かけ上の自転として映し出されているのです)
こうして生まれたスピンの向きが外部磁場と相互作用すると、電子はN極とS極をもつ小さな磁石のようにふるまいます。
つまり、私たちが「スピンの角運動量」と呼んでいるものは、古典的な軸回転ではなく、量子力学が許容する“余剰次元の回転”による舞台裏のダンスが投影された姿なのです。
このようにスピンは単なるイメージ上のコマよりもずっと不思議な性質を帯びており、学校の教科書も説明に苦戦する理由となっていました。
(※電子は素粒子であり内部構造を持たないため、「余分な次元での回転」は物理的に何かが回っているわけではなく、量子力学的な性質を比喩的に表しているにすぎません)。
さらに加えて、電子スピンだけではなく、原子核のまわりを取り巻く電子の“軌道運動”も磁気モーメントを生み出す重要な要素です。
量子力学では、電子は原子核の周囲にある「軌道」(厳密には波動関数)の状態に存在し、その形状やエネルギー準位によって磁気モーメントの大きさも微妙に異なります。
古典的なイメージでは「荷電粒子がぐるぐる回ると電流が発生し、それが磁場を生む」と説明されてきましたが、実際には量子力学的な解釈に基づくため、電子の軌道運動を直接“電流”として測定することはできません。
むしろ、軌道角運動量が磁気モーメントに寄与していると考えられています。そして電子スピンが全体として整列すれば、物質は外部に磁場を生み出すようになり、私たちが日常で目にする磁石の性質を示すことになるのです。
次はスピンがどのように磁力にかかわっていくかをみていきます。
鉄やニッケル、コバルトなどの強磁性体では、電子スピンが同じ方向にそろいやすく、はっきりした“N極・S極”をもつ磁石の性質が現れます。
日常で使う磁石の多くが、この強磁性体に当たります。
一方、反強磁性体と呼ばれる物質では、隣り合う電子スピンが互いに規則正しく逆向きに整列するため、全体の磁化が打ち消され、見かけ上“ゼロ”に近い状態となります。
今回の研究で用いられたFePS3(鉄・リン・硫黄からなる層状化合物)も、この反強磁性体に属します。
また、アルミニウムやチタンなどの常磁性体や、金・銀・銅などの反磁性体も、磁石にはくっつきません。
常磁性体は電子スピンがランダムに向いているため、正味の磁化が生じないのが理由です。
反磁性体の場合は、磁石が近づいた際に誘起される電流が外部磁場を打ち消してしまうので、磁石に引き寄せられないのです。
人間社会に例えるなら、鉄・ニッケル・コバルトといった強磁性体は「国が定めた法律を好んで守る集団」、FePS3のような反強磁性体は「世間の法律とは別の“闇のオキテ”に従って秩序正しく暮らす集団」です。そして、アルミやチタンなどの常磁性体は「ルールに縛られない自由人の集まり」といったイメージでしょう。反強磁性体と常磁性体はいずれも磁石にはくっつきませんが、前者は“アウトローなりの規則”があるのに対し、後者は完全に何のルールもない“野蛮人”のような状態(スピン配列的に)といえます。
(※反磁性体はスピン配列がどうこうというより、磁石に対して反発する力を内部で発生させるため、“抑圧が嫌いな自由都市の市民”のようにたとえられます。)
このように、私たちが「不思議な力」と感じてきた磁力は、実は電子スピンや軌道角運動量による量子力学的な現象の集合体といえます。
つまり、磁力は決して“神秘的”なものではなく、スピンと軌道角運動量がもたらす効果の総合的な表れです。電子同士の交換相互作用によってスピンが一斉に並ぶと、マクロな磁気モーメント(巨大な磁石)として顕在化します。
しかし、反強磁性体のようにスピンが逆向きに整列する場合や、常磁性体のようにランダムな場合は、外から見るとほとんど“磁石らしさ”を示しません。
ただし、反強磁性体にはきちんとスピン秩序が存在しているため、それを光や何らかの刺激で動かせるなら、磁石化できる可能性があるわけです。
再び人間の比喩で言うならば、まったく無法地帯(常磁性体)に住む人々よりも、“闇のオキテ”といえど一定のルールをもつ反強磁性体のほうが「正しい社会に取り込める見込みがある」というイメージです。
そこで今回、MITの研究者たちは、この反強磁性体FePS3に“正しい秩序”を与え、磁化させる研究に挑んだのです。
これまで、素材に光を当てて特別な「何か」を引き起こす(いわゆる光誘起相転移)研究では、主に可視光や近赤外光が使われてきました。
しかし、これらの波長帯は電子系を直接励起してしまうため、物質に大きな熱的影響を与え、多くの研究では1ピコ秒(1兆分の1秒)ほどしか続かない“瞬間的な相転移”となっていました。
(※最近ではナノ秒代のものも報告されています)
同様に可視光や近赤外光を FePS3(鉄・リン・硫黄からなる層状化合物)に照射しても、磁化を長時間維持するのは難しいと考えられます。
実際、反強磁性体というのは隣り合うスピンが規則的に逆向きに揃っているため、見かけ上は磁化がゼロの状態です。
それでもスピン秩序自体はしっかり存在しており、もし光や外部刺激でその秩序をうまく動かせれば、磁石のような性質を引き出せる可能性があります。
そこで研究者たちは、テラヘルツ帯(約0.1〜10 THz)の光に注目しました。
テラヘルツ光は比較的“穏やか”なエネルギー域にあるため、電子系を過度に乱すことなく、必要な部分だけをピンポイントで刺激できます。狙いを絞り込むほど、物質全体を加熱してしまうリスクが下がるわけです。
もしテラヘルツ帯の光が秩序再編の“触媒”になれば、FePS3(鉄・リン・硫黄からなる層状化合物)に磁石のような性質を授けられるかもしれない——そう考えたのです。
イメージとしては、かつての昭和時代に壊れかけのテレビを“叩く”ことで一時的に直すような荒療治ではなく、優しく“狙い撃ち”して磁力を呼び覚ますような制御を狙ったわけです。
(※当時は電子部品の接触不良が原因で、物理的衝撃が一時的な改善をもたらすと信じられていました)
結果として、テラヘルツ光を照射するだけで2.5ミリ秒以上も磁化状態が続くことが確認されました。
これまでの光誘起磁気現象は、ピコ秒~ナノ秒のオーダーで消えてしまうのが普通でしたから、この“ミリ秒”という時間スケールはそれよりも遥かに倍も長くなっています。
実際、研究者たちも「ミリ秒は永遠のようなものです」とコメントしています。
さらに今回の研究では「FePS3 の相転移温度(約118 K)付近になるほど、誘起される磁化が大きく、寿命も長くなる」という現象が観測されました。
これは118 K近くに“臨界現象を起こす境界”が存在し、わずかなテラヘルツ光の刺激だけでも“磁化の沸き立ち”を誘発できることを示しています。
しかも、2.5ミリ秒という桁違いの長寿命を考えると、光照射後も“準安定の丘”にスピン秩序が留まった可能性が高いと推測されます。
つまりFePS3 は「強いスピン–フォノン結合」と「臨界温度近傍での揺らぎ増幅」という特性が重なって、テラヘルツ光による新たな磁気状態を長時間維持できる、きわめてユニークな反強磁性体だと言えます。
今回の研究が示す最大の意義は、テラヘルツ光を用いて「難攻不落」と思われていた反強磁性秩序を、長寿命かつ可逆的に変化させることを初めて実証した点です。
反強磁性体は、隣接するスピンが互いに逆向きにそろっており、トータルでは磁化がゼロになるため、外部磁場からのノイズを受けにくいという大きな利点があります。
しかしその分、外部磁場を使った制御が困難であり、「頑丈だけれど扱いにくい磁性体」として長らく挑戦的なテーマでした。
ですが今回の研究により外部磁場でのスイッチングが困難だった反強磁性体も、光パルスを介した制御なら、スピン–格子結合を通して深く干渉できることが示されました。
この特徴は、次世代の高密度メモリ技術――たとえばMRAMの発展形や光スピントロニクス素子など――への応用可能性を強く示唆しています。
反強磁性体をベースとするスピントロニクス技術において、「高速書き換えとある程度の保持時間」を両立できるのは非常に魅力的です。
また、従来の強磁性体を磁場や電流で切り替える方法と比べると、光制御は非接触で操作できるため、電流を直接流す必要がありません。
さらにテラヘルツ光は必要エネルギーが比較的低いにもかかわらず、スピン系と強く結合できるポテンシャルを持つため、低消費エネルギーで制御可能な点も大きなメリットです。
こうした背景から、「光を当てるだけで磁石になる」という本コラム冒頭のトピックは、一見すると奇抜でSFめいた印象があるかもしれませんが、実はFePS3という反強磁性体にテラヘルツ光を照射した実験が裏づける、量子物質科学とスピントロニクスの交差領域における大きなブレークスルーといえます。
今回の事例から見えてきたのは、「光を当てるだけで物質の相や秩序を自在に操れる」というコンセプトが、学術的好奇心の域を超え、実際のデバイス工学や産業へ本格的に波及し始めているという点です。
かつては「光で磁気を破壊する・消す」という実験が多かったのに対し、今では「光で新しい相を作り出す」手法が注目され、長寿命の状態を実現する例も増えてきました。
これは反強磁性体に限らず、高温超伝導やトポロジカル相など、多くの量子材料でも注目されるトピックであり、“光誘起相転移”分野はさらに拡大が見込まれます。
今後研究が進むにつれ、科学と技術の境界領域で生まれつつある“次世代磁性制御”は、私たちの暮らしや産業を大きく変える可能性を秘めていると言えるでしょう。
元論文
Terahertz field-induced metastable magnetization near criticality in FePS3
https://doi.org/10.1038/s41586-024-08226-x
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部