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以下は地球から銀河の別々の端と端に向かう宇宙船を使った疑似的な超光速通信の例を示します。
一方の宇宙船の名前はA号、もう一方の宇宙船の名前をB号とします。
また双方の宇宙船の最大速度は光速の10%であるとします。
まず最初に出発前の2隻の宇宙船にもつれ状態にある粒子のペアを大量に詰め込みます。
この粒子たちは、一方が縦揺れならばもう一方は横揺れというようにもつれ状態にあります。
それぞれのペアには相方と同じ番号が振られ、長期間の維持に耐えられるような頑丈な容器に格納されます。
そして2隻の宇宙船の船長たちは、お互いが5万光年進んだ時点で通信を行うことを約束し、さらにそのときに使用する量子もつれのペアも決めておきます。
宇宙船の速度が光速の10%であるため、5万光年進むには50万年を要するでしょう。
そして50万年後、A号の船長は約束された時間になると決められた順番で、もつれ状態の粒子に対して縦揺れあるいは横揺れになるような恣意的な弱い観察を行います。
一方銀河の反対側にいるB号でも準備をはじめ、タイミングをあわせて決められた粒子に対する観測を行います。
するとB号の観測結果はA号で行われた恣意的な弱い観測の影響を受けて、縦揺れと横揺れのパターンが決まっていきます。
このとき縦揺れの光を「0」で横揺れの光を「1」となるようにお互いに取り決めて於けば、文字数と同じ1440対の量子もつれを消費して、上の図のようなアスキーアートを送ることが可能になります。
(※ズレのない時計や乗員の生命維持などのその他の問題はクリアされているとします)
2隻の宇宙船は10万光年も離れていますが、A号からB号へのハートマークの転送は量子もつれの性質を利用して瞬時に行うことが可能です。
0と1の組み合わせにモールツ信号のような意味を持たせれば、量子もつれのペアが枯渇するまで、文章のやり取りも可能になります。
ただあくまでこの超高速通信には「疑似的」という接頭語がつきます。
というのも2隻の宇宙船はハートマークを送る前に、地球で量子もつれのペアを分け合い、その後50万年の時間が経過しています。
そのためプロセス全体からみれば、ハートマークを送るのに50万年かかったと見ることもできます。
10万光年の距離を50万年かけてハートマークが送られたと考えれば、情報伝達プロセス全体からみて光速は超えておらず、アインシュタインの相対性理論にも反していないことになります。
しかし部分的にみれば疑似的な超光速通信が成り立っているかのような現象がみられるのです。
そこで今回、シカゴ大学の研究者たちは、この超光速通信の蜃気楼の仕組みを使用して、株式市場における情報伝達の優位性を獲得する方法を考案しました。
20世紀の古い株式市場の映像をみると、多くの人々が複雑なジェスチャーをとりながら、株の売買を行っている様子がうかがえます。
コンピューターが普及していない頃の現場での株の売買は「人力」であり、値動きの概要も黒板に記される形式をとっていました。
ですがコンピューターとインターネットの普及により、取引はデジタルなものになり、衛星や海底ケーブルを使うことで、情報の伝達速度だけならば光速に迫るようになってきました。
さらにAIを用いた高頻度取引の導入により、現在の株式市場は同じ銘柄の株が100μ秒(1000分の1秒)の間に何十回も取引が行われるようになっています。
その結果、十分に思えていた光速の壁が、間近に迫ってくることになりました。
例えばニューヨーク証券取引所(NYSE)のデータを扱うコンピューターとナスダック(NASDAQ)をのデータを扱うコンピューターの距離は56.3kmであることが知られており、光はこの距離をおよそ187.8μ秒かけて到達します。
この時間は人間の感覚では十分速く一瞬のように思えます。
しかし100μ秒の間に何十回も行われる取引の世界からみて、187.8μ秒の遅延は重くのしかかってくるのです。
何千キロも離れた取引所であれば、データが共有されるまでに数千回の取引が挟まってしまうことになります。
研究では、距離による不利益を打ち消すためには、計算上、コンピューター同士の距離を30cm未満にしなければならないことが示されました。
数十万光年隔てた宇宙船間の通信に比べるとスケールが小さいように思えますが、これも立派な「光速の壁」と言えるでしょう。
ですが裏を返せば、取引所のデータ同期能力に盲点があり、そこに宝の山が積み上げられていることを示しています。
もし他のシステムよりも早く取引ができれば、後出しじゃんけんの要領で、苦労なくして富を積み重ねることが可能になるからです。
しかし光速の壁の問題により、どの取引システムも横並び状態になっているのが現状と言えます。
データの伝達経路を工夫したりエネルギー効率を改善したりなどの対策で有利になることもできなくもありませんが、他のシステムも同じことをしてくれば、結局また横並びになるだけです。
そこで今回シカゴ大学の研究者たちは、量子もつれを使用して、光速の壁に縛られない超光速情報通信を使用する方法を考案しました。
先に述べたように情報伝達プロセス全体では光速を超えることはできません。
しかし「量子もつれ状態にある粒子を事前に分け合う」ことができれば、その後で疑似的な超光速通信が可能になります。
今回の研究でもこの「事前に分け合う」という概念を基本にしており、まず上の図のように、量子もつれ状態にある粒子のペアをニューヨーク証券取引所(NYSE)とナスダック(NASDAQ)にいるシステムに分配します。
こうすることでニューヨーク証券取引所(NYSE)の値動きを超光速でナスダック(NASDAQ)に送ることが可能になります。
たとえばある粒子の状態Aを買い、別の状態Bを売りと事前に取り決めておけば、ハートマークよりも迅速に情報を送れるでしょう。
ただ今回の研究や論文著者が特許を取得した方法では、恣意的な弱い観測以外の方法が提案されています。
恣意的な弱い観測を行うにはわざわざ特定の観測結果しか出ないように細工する手間がかかる上に、弱い観測という性質上、確実性もあまり高くなく、巨額の売り買い情報を託すにはリスクがあります。
そこで今回の研究では、もつれ状態にある粒子に対する「観測方法の種類そのもの」を変えるというアプローチが提案されています。
たとえばある粒子ペアに対しては手法A(たとえば磁気を使った観測)を行い、また別の粒子ペアに対しては手法B(エネルギーを用いた観測)を行うというものです。
すると、それぞれの観測結果は当然ながらランダムなものになります。
しかし一方の粒子に使った観測手法が確定すると、その結果はもう一方の粒子にも見えないもつれ関係の糸を伝って瞬時に伝達され、相手の性質も観測方法に従ったものに変化してしまうのです。
こうすれば得られる結果はランダムになっても、得られる測定結果の性質(つまりどのような情報が得られるか)が異なることになります。
そして特定の粒子の状態に「買い」や「売り」を事前に割り当てることで、取引を実行可能になります。
前もってのもつれ状態の粒子の分配と、複数種類の観測方法、そして観測結果の解釈に対する事前の取り決めをしておくことで、結果として疑似的な超光速通信として機能するわけです。
また今回の研究では、もつれ状態の粒子の分配の成功率や、システムの中でもつれ状態が維持される効率なども計算されました。
結果として、新たな方法は従来の光速に制限された情報伝達方法に比べ、明白なアドバンテージを得られることが明らかになりました。
量子もつれの生成やその検証技術は1970代から存在しているため、現在は量子力学を扱うどの研究室にも存在しています。
そのため「量子テレパシー」と名付けたこの仕組は比較的簡単であると考えられます。
研究者たちは、オンラインゲームなど僅かな遅延が致命的になる分野においても、量子テレパシーは普及していくだろうともベています。
もしかしたら将来の株取引は「超光速」がスタンダードになり、量子もつれを供給するインフラシステムがネット回線と並行するように整備されているのかもしれませんね。
元論文
Coordinating Decisions via Quantum Telepathy
https://doi.org/10.48550/arXiv.2407.21723
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部