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ほとんどの人はマゾヒズムという単語については、性的な意味で「変態」のことだと解釈しがちです。
確かに、良性マゾヒズムは不快感や苦痛をあえて求める点では性的マゾヒズムと同じです。
しかしロジン氏は、良性マゾヒズムには性的マゾヒズムと決定的に異なる部分があると説明します。
それは良性マゾヒズムが常に「安全圏」にあるという点です。
性的マゾヒズムでは、鞭打ちや首絞めを受けたり、罵詈雑言を浴びたりと、本人の心身に直接的なダメージがあります。
特に窒息行為に快感を覚える人では死亡事故につながるリスクが高く、性的マゾヒズムは明らかに危険な領域にあります。
これと反対に、良性マゾヒズムは命に関わる直接的な脅威とは距離を置いており、安全が確保されているのです。
例えば、ホラー映画を観ても本人が劇中の殺人鬼に襲われるわけではなく、画面外の安全な場所にいます。
それから激辛料理を食べて痛みを感じたとしても、それによって死亡することは基本的にありません。
つまり良性マゾヒズムでは、今感じている不快感や苦痛が本当の脅威にはならないことを認識しているがゆえに、それらを喜びや快感に変えることが可能なのです。
その一方で、多くの人は激辛料理やホラー映画を避けますし、そこに喜びや快感も見出しません。
こうした個人差が何によるのはかまだ科学的に説明されていませんが、一説では、ネガティブ体験を受けたときのアドレナリンやドーパミンの出方の違いに原因があるのではないかと考えられています。
アドレナリンやドーパミンの分泌は快感や興奮感を促すため、良性マゾヒズムの人はホラー映画を観たり、絶叫マシンに乗ったときに、興奮や快感に繋がる神経伝達物質の分泌量が多いのかもしれません。
このように、良性マゾヒズムについてはまだ十分な研究が進んでおらず、多くが謎に包まれています。
そんな中、独ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク(JMU)は新たな研究で、良性マゾヒズム傾向のある人がどのレベルのネガティブ感情刺激に対して喜びを見出すのかを調べてみました。
今回の調査では大学の学部生285人を対象に、良性マゾヒズム傾向のある人が具体的にどのレベルのネガティブ感情刺激を好むかを調べました(Journal of Research in Personality, 2024)。
調査ではまず、「良性マゾヒズム尺度(Benign Masochism Scale)」という診断ツールを使って、各被験者に良性マゾヒズム性向がどれくらいあるかを評価します。
次に実験課題として、各被験者に感情を誘発する一連のビデオクリップを見てもらいました。
このビデオクリップは、次の4つのカテゴリーに分類されます。
1:ポジティブ感情を誘発する低刺激のビデオ(例、静かな森林のシーン)
2:ポジティブ感情を誘発する高刺激のビデオ(例、明るく笑っている女性)
3:ネガティブ感情を誘発する低刺激のビデオ(例、散乱するゴミや地面をぬらぬらと這い回るヘビ)
4:ネガティブ感情を誘発する高刺激のビデオ(例、クジラを殺めるシーンや男性が嘔吐するシーン)
被験者は各カテゴリーのビデオクリップをランダムに20回見るごとに、どのカテゴリーのビデオクリップが見たいかを選択することができました。
また被験者は各カテゴリーのビデオクリップを見た後に、自分自身の感情や興奮レベルを評価するアンケートに回答しています。
データ分析の結果、被験者の多くはポジティブ感情を誘発する高刺激のビデオを最も多く選んでいました。
ところが、良性マゾヒズム性向の強い人は、クジラを殺めるシーンのような「ネガティブ感情を誘発する高刺激のビデオ」を最も強く好むことが分かったのです。
また良性マゾヒズムが強い人は、他の被験者に比べて、ネガティブ感情を誘発する高刺激のビデオから大きな楽しみを得ていました。
これらの人は反対に、ポジティブな感情を誘発するビデオクリップにはほとんど興味を示しませんでした。
一方で、ネガティブ感情を誘発する低刺激のビデオを選択した被験者はおらず、良性マゾヒズムの人はそれほど刺激的でない負の体験にはあまり関心がないものと見られます。
このことから、良性マゾヒズム性向が強い人ほど、一般には不快度が高く、嫌悪感を誘発しやすい感情体験に喜びを見出すことが確認されました。
良性マゾヒズムは性的マゾヒズムとは違って、ほとんどのことが一人のうちで完結し、誰に迷惑をかけるというものでもありません。
また当人の精神面にはポジティブな作用を与えていると考えられるため、無理のない範囲で楽しむといいでしょう。
参考文献
The paradox of pleasure in pain: Unraveling the psychology of benign masochism
https://www.psypost.org/the-paradox-of-pleasure-in-pain-unraveling-the-psychology-of-benign-masochism/
Benign Masochism Is Why We Love Gross Smells And Scary Movies
https://www.scarymommy.com/benign-masochism-explains-why-we-love-gross-smells-and-scary-movies
元論文
Affective preferences in benign masochism
https://doi.org/10.1016/j.jrp.2023.104429
Glad to be sad, and other examples of benign masochism
https://doi.org/10.1017/S1930297500005295
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。