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私たちが何かを見るとき、その物体と背景を簡単に区別できます。
絵画の中に異物としてリンゴを紛れ込ませた場合、絵画がモナリザのような見たことがあるものでも、全く知らない絵画であっても私たちは簡単に異物(リンゴ)を見抜くことが可能です。
この「背景と異物を区別する能力」は、自然界では茂みの中から現れる捕食者に気付いて逃げる「防御」、あるいは草むらに紛れ込む獲物を探して食べる「狩り」において不可欠であり、最も原始的な視覚と考えられています。
しかし近年の研究により、視覚情報が視覚野の他に、中脳でも処理されており、視覚野が病気や事故で失われた場合にも、背景と異物を区別する能力だけは失われないことがわかってきました。
(※視覚野は大脳皮質の後部に存在する「見る」ことに関連した脳領域であり、私たちがこうして文字を読んで認識できるのも視覚野のお陰となっています。一方、中脳は脳幹の最上部に存在する原始的な脳領域として知られています。)
その代表的な例は「盲視(ブラインドサイト)」と呼ばれる現象です。
たとえば病気や事故により視覚野が完全に失われてしまった人は、目や網膜が正常でも視覚情報が処理できずに盲目になってしまいます。
そのため医師が患者の前に指を出して振ったとしても、患者は「見えません」と答えます。
この場合、医者や診察室が背景であり、振られている指が異物に相当します。
しかし驚くべきことに「あてずっぽうでもいいので指の場所を教えてください」と言うと、患者たちは高精度で指が降られている位置を言い当てることが可能なのです。
また視覚野が損傷している人たちでは、意識的には何も見えないにも関わらず、まるで見えているかのように障害物を避けて歩けることが知られています。
こちらの場合では、背景に対して障害物が異物として認識されていると考えられます。
この結果は、私たちの視覚が、視覚野を中心とした意識的に見る能力と、中脳を中心とした(無意識的に)背景から物体を区別する能力の2系統に分かれていることを示しています。
視覚野が損傷した患者たちは振られている指や障害物を「見えている」と意識することができませんが、確かに脳は「見ている」のです。
ある意味で人間は意識(視覚野)と無意識(中脳)の両方で世界を見ていると言えるでしょう。
実際、爬虫類や両生類など大脳皮質を持たない原始的な動物では、視覚の中枢が中脳であることが示されています。
(※大脳皮質の視覚野が損傷した場合、見る能力が進化的に古い中脳に先祖返りしたとも解釈できます)
しかしそうなると気になるのは、中脳がどこまで詳しく対象を認識できるかです。
これまでの研究では、中脳による視覚は単純なものの認識しかできず、背景に紛れ込んだ「角度の違う図」のような複雑なものの検出は困難であると考えられてきました。
そこで今回、オランダ王立芸術科学アカデミーの研究者たちは、マウスを使った実験によって、背景と異物を区別する見る能力がどの程度の物なのか、また中脳のなかで特にどの領域が重要となるかを詳しく調べることにしました。
調査にあたってはまずマウスの脳の遺伝子を書き換え、光に反応して脳回路のスイッチをオン・オフに自由に切り替えられるようにしました。
そしてマウスたちの中脳の上丘と呼ばれる脳領域のごく表層付近に光ファイバーを差し込みます。
これまでの研究によって、マウスたちの中脳の上丘付近が、背景と異物を区別する能力に関与していると考えられていたからです。
マウスの準備が済むと次に研究者たちは、マウスたちとのコミュニケーションツールを作成しました。
マウスにも視覚野と中脳による2系統の視覚があり、中脳が背景から異物を区別する機能を担っていることは知られていました。
しかしマウスは人間の被験者と違ってそのことを言葉で教えてくれないため、たとえ盲視(ブラインドサイト)のような変化が起きても知ることは容易ではありません。
そこで研究者たちは上の図のように、Y字型の装置を導入することで、背景に紛れ込んだ異物が左右のどちらにあるかをマウスに教えてもらう仕組みを作りました。
(※異物が左にある時にはマウスはY字型装置の左側を舐め、異物が右にある時には右側を舐めるように訓練しました)
準備が済むと研究者たちはマウスの中脳上丘に光を浴びせ、脳回路のスイッチをオフにしてみました。
するとマウスたちは脳回路がオンのときに比べて、正解となる頻度が大幅に低下していることが判明します。
この結果は、たとえマウスの視覚野が正常であっても、背景と異物を区別する中脳の機能が抑えられた場合、背景から異物を区別する能力が低下することを示しています。
またマウスたちも視覚野と中脳という異なる2系統を使って世界を見ていることがわかりました。
さらに中脳での視覚は、角度の違いのような比較的複雑な図も検知できることが示されました。
研究者たちは同様の仕組みが人間にも存在している可能性があると述べています。
たとえば座頭市のような「盲目の剣豪」は物語のなかでのみ存在しており、常識的には、目が見えない人は左右のどちらから斬りかられているかわからないと考えてしまいます。
しかし、もし座頭市の盲目が視覚野の損傷のみによって起きているならば、盲視(ブラインドサイト)が機能し、敵の位置や剣の動きを検知できている可能性があります。
また中脳による視覚は視覚野の損傷したでは、大きく増強されていることも報告されています。
さらに今回の研究では、中脳による視覚がかなり複雑な図形を認知できることも示されました。
そのため盲目の剣豪という設定は、思った以上に、あり得るのかもしれません。
参考文献
Old area in the brain turns out to be more important than expected
https://nin.nl/news/old-area-in-the-brain-turns-out-to-be-more-important-than-expected/
元論文
Involvement of superior colliculus in complex figure detection of mice
https://elifesciences.org/articles/83708#s3
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。