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英国のノッティンガム大学(UoL)で行われた研究により、希ガスであるクリプトン原子(Kr)をカーボンナノチューブの内部に閉じ込めることで「一次元の気体」を作成し、その様子をリアルタイムで視覚的に捉えることに成功しました。
実際に撮影された映像では、クリプトン原子が狭いチューブ内である種の「交通渋滞」に巻き込まれており、数珠つなぎに配置されている様子が見て取れます。
研究者たちは「希ガス原子がチューブ内部で一次元ガスとして生成されている様子を撮影したのは今回の研究が世界初である」と述べています。
しかし、研究者たちはいったいどうやって希ガス原子をチューブに詰めたのでしょうか?
そして一次元ガスを生成することに、いったいどんな意義があるのでしょうか?
今回はまず実験に使われたカーボンナノチューブとフラーレンについて解説しつつ、研究の興味深い点を紹介したいと思います。
研究内容の詳細は2024年1月22日に『ACS Nano』にて公開されました。
目次
日本は、炭素を基盤としたナノテクノロジーの分野で世界をリードしている国の一つです。
特に、カーボンナノチューブとフラーレンは、その代表的な例として挙げられます。
これらの微細な炭素材料は、日本の研究者たちによって重要な発見がなされ、現代の科学と技術における革命的な材料となっています。
カーボンナノチューブは日本の飯島澄男教授が1991年に発見した、数ナノ(10億分の1)メートルの極細チューブです。
カーボンナノチューブはその丸まり方、太さ、端の状態などによって、電気的、機械的、化学的特性などに多様性を示しています。
このため、強度が高くて軽量、また電気を良く通す特性を持つことから、次世代の電子機器や新材料の開発において中心的な役割を果たしています。
また近年ではカーボンナノチューブの内部に原子や分子を詰め込むことで、新しい機能を持つ素材の開発が進められています。
たとえば東北大学で行われた研究では、チューブ内部に有機分子を収納することで、電気特性の制御を行うことに成功しました。
また豊橋技術科学大学ではチューブ内に赤リンを詰め込んだリチウムイオン電池の電極を開発し、既存のグラファイト電極に比べて電池容量を2倍以上にすることに成功しました。
一方フラーレン(C60)は60個の炭素原子がサッカーボール状に結合した直径0.7ナノメートルの球状分子で、1970年に大澤映二により予言され、1985年にKroto, Curl, Smalley により発見されました。
フラーレンはその特異な形状と電子的特性から、有機太陽電池、医薬品の配達システム、さらには超伝導材料としての応用が期待されています。
フラーレンは日本国内で工業的な大量生産が開始されており、安価・大量に入手可能な「ナノ物質」の代表となっています。
カーボンナノチューブと同様にフラーレンも輸送カーゴとしての研究が進んでおり、京都大学で行われた研究ではフラーレン内部に単一の水分子を閉じ込めることに成功しました。
他にもこれまでヘリウムや水素、窒素や一酸化炭素、過酸化水素などもフラーレン内部に閉じ込められることが判明しました。
このようにカーボンナノチューブやフラーレンのような炭素構造体の多くが現在、内部に詰められるものとセットになって研究が進んでいます。
私たちの身の回りには酸素や窒素、二酸化炭素をはじめとしてさまざまな分子が気体として存在しており、古くからそれらがどんな性質を持つかが調べられてきました。
しかしナノテクノロジーの進歩によって、分子や原子を板に挟んだり細いチューブに詰め込むことで、厚さが分子1つ分しかない二次元物質や分子が直線に配置された一次元物質を作成できるようになってきました。
また驚くべきことに、二次元物質や一次元物質は成分が同じでも、母体となる三次元物質と大きく異なる性質を持つことがわかってきました。
その中で最も有名なのは、平面的な構造を持つグラフェンの電子でしょう。
三次元的な炭素の塊の場合、内部に含まれる電子は原子核との兼ね合いによって、本来の質量とは異なる有効質量を持ちます。
(※有効質量は電子が古典物理的に従って動くとした場合に想定される質量に相当する数値です。実際の電子は量子力学的な性質があるため本来の質量と有効質量は少し異なります)
しかしグラフェン内部の電子の有効質量は、驚きのゼロとなっています。
そのためグラフェン内部の電子はまるで光のように、決して止まることなく常に同じ速度で飛び回っています。
このように分子や原子が三次元的に配置されていない場合、予想もつかないような新たな性質を獲得することがあるのです。
そのため現在の化学ではさまざまな方法を用いて、既存の分子や原子を二次元的、一次元的に配置し、どんな物性を獲得したかを調査する研究が進んでいます。
しかし二次元物質は板に挟んだり剥がしたりなどして作るイメージが浮かびますが、一次元の気体の場合は、どうやって作るのでしょうか?
一次元の気体をどうやって作るのか?
ノッティンガム大学の研究者たちが目をつけたのが、カーボンナノチューブとフラーレンでした。
研究ではまず、フラーレンを巧みに操作して希ガス原子として知られるクリプトン(Kr36)を内部に詰め込みました。
先に述べたようにフラーレンは炭素からなる球状構造をしており、内部に他の分子や原子を閉じ込めることが可能です。
今回の研究でフラーレンは、クリプトンを運ぶための籠として機能します。
研究者たちはこのクリプトン入りのフラーレンをカーボンナノチューブに詰め込んで、上の図のように数珠つなぎに配置させました。
(※左側が電子ビームを当てて少しずつフラーレンを融合していく場合、右側が1200℃で熱して一気にフラーレンを融合させる場合です)
実験で使われたカーボンナノチューブの直径が1.4ナノメートルなのに対してフラーレンの直径は0.7ナノメートルとなっています。
次に研究者たちはエネルギーを加えてフラーレンの結合を緩め、フラーレン同士を融合させました。
上の図では電子ビームを当てることでフラーレンの籠がだんだん融合していき、最終的にはカーボンナノチューブの内部に、複数のクリプトンが収められた細長いカプセルが出現する様子が映されています。
類似する細長いカプセルは、1200℃に加熱した時も出現しました。
この融合により、カーボンナノチューブ(とカプセル)の内部に、数珠のように一次元的に配置されたクリプトン原子が生成されました。
このときカプセルの直径が0.7ナノメートルである一方、クリプトン原子の直径(ファンデルワールス直径)はそれぞれ0.4ナノメートルとなっています。
分かりやすく例えるならば、道幅0.7メートルの道路に幅0.4メートルの車が並んでいる様子に近いでしょう。
この場合、内部のクリプトン原子は前後の原子を追い越すことができずに、ある種の渋滞が発生し、一次元的な配置ができあがります。
なお前後には全長の3分の1ほどの遊びが存在するため、前後には動くことができます。
また上記のような手順を経て透過型電子顕微鏡で撮影することで、原子の動きをリアルタイムで追跡することが可能になりました。
希ガス原子がチューブ内部で一次元ガスとして生成されている様子を、リアルタイムで撮影したのは今回の研究が世界初です。
研究者たちは今後、新たに生成された一次元気体の化学的な性質を調査していくとのこと。
グラフェンで見つかった有効質量のない電子のように、驚くべき物性が潜んでいるかもしれません。
参考文献
Scientists trap krypton atoms to form one-dimensional gas
https://www.eurekalert.org/news-releases/1031687
元論文
Atomic-Scale Time-Resolved Imaging of Krypton Dimers, Chains and Transition to a One-Dimensional Gas
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acsnano.3c07853
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。