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トラウマ体験は、個人が極度のストレスや恐怖を感じる経験を指します。これには自然災害、事故、戦争、暴力、虐待など、身体的または心理的に影響する出来事が含まれます。
そして人生の中で何らかのトラウマ体験をすると、それを原因としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症することあります。
その代表的な症状の一つがフラッシュバック(つらい記憶が前触れもなく強く思い出されて再体験すること)です。
フラッシュバックは、トラウマ体験に関連する不快で強烈な記憶(侵入記憶)が、極めてリアルに再体験される現象です。
そのため、PTSDの治療ではこの「侵入記憶」の対処に焦点が当てられます。
ところで、私たちの心はカメラのように出来事を即座に記憶するわけではありません。記憶の定着には一定の時間がかかるものです。
このことから、スウェーデン カロリンスカ研究所(Karolinska Institutet)のホームズ教授らの研究チームは、「記憶の形成中に、その作業を阻害するイメージ処理の負荷を脳に与えて集中させれば、フラッシュバックの回数を減らせるのではないか」と考えました。
彼らは、この仮説を検証するため、星座を想像したり、頭の中で複雑なパターンをつくるなどの「脳に負荷を与えるイメージ処理」を検討しました。
そして、試行錯誤の結果たどり着いたのが「テトリス」だったのです。
とはいえ、いきなりこの流れでパズルゲームの名前を出されても唐突感が否めません。なぜ研究者らは、テトリスに注目したのでしょうか?
「テトリスって何?」という方はいらっしゃらないと思いますが、念のため説明をしておきましょう。
テトリスは、1984年にアレクセイ・パジトノフ(Aleksei Leonidovich Pazhitnov)によって開発された、コンピュータパズルゲームです。
プレイヤーは、落ちてくる様々な色や形のブロックを回転させて画面下部に配置し、横一列に空きスペースなく揃えることで、その列のブロックを消してスコアとさらなるプレイ時間を獲得します。
ブロックを適切な位置に配置するためには、空間的な認識と予測が必要です。
プレイヤーは、ブロックを実際に動かす前に、頭の中で動かした結果を予測するという、まさに「脳に負荷を与える」イメージの処理を行わなければならないのです。
研究者らはこの点に注目し、テトリスを使った「テトリス療法」を試すことになったのです。
研究チームは2017年、交通事故直後6時間以内の自動車事故被害者71人に「テトリス療法」を施す実験を行いました。
実験で参加者は、自分の事故をイメージしつつテトリスで遊ぶグループと、別の課題を行うグループに分けられました。
結果、テトリスをプレイしたグループの参加者は、事故から1週間後の侵入記憶が対照群に比べて少なく、より早く減少することがわかりました。
この結果は、トラウマ体験直後に視覚的負荷の高い作業を行うことで、記憶の鮮明さを減らし、曖昧にする効果があることを示唆するものです。しかしこれは、「ひどい体験をした直後にテトリスをプレイした場合の効果」に限定されます。
現実的には、トラウマ体験直後の人にゲーム機を渡し、「今こそテトリスを!」と誘うのは、適切とは言えませんよね。
そこで研究チームは、記憶がすでに定着した人にもテトリスが効果を発揮するか、確認する実験を行いました。
2018年に発表された研究では、入院治療中のPTSD患者20名を対象に、週に1回、トラウマ体験を思い出した後、25分間テトリスをプレイする治療セッションを実施しました。期間は5〜10週間でした。
するとこの実験で、参加者が思い出すトラウマ体験のフラッシュバックが、平均して64%減少したのです。20人の参加者のうち16人については、侵入記憶の数も減少していました。
2022年の研究では、COVID-19のパンデミック中に繰り返しトラウマ体験をした、集中治療室のICUスタッフが対象となりました。
この実験では、第4週の時点で、テトリスをプレイした参加者は、プレイしなかった参加者に比べ、トラウマ体験による侵入記憶の数が約10分の1に減少し、全体としてフラッシュバックが73~78%減少しました。
注目すべきは、参加者はただ単にゲームをしただけではないという点です。
ゲーム前にトラウマ体験を思い出す「記憶の活性化」が行われ、ゲーム中にはテトリスのブロックを頭の中で回転させることが求められました。
この手順こそが、効果を高めるうえで重要なのだと言います。つまり、記憶を活性化させたあとに、視覚的負荷の高いタスクを行うことにより、記憶が干渉され、その強度が弱まり、思い返す頻度が減少する可能性があるというわけです。
現在、ホームズ教授らは、テトリスゲームプレイ中の脳の視覚空間処理に関与する領域を特定する研究に取り組んでいます。
2021年の研究では、テトリスプレイが脳の広範囲にわたる視覚空間処理関連回路を活性化することが明らかにされました。これは、テトリスがトラウマ後の侵入記憶減少の介入手段として有用であることを示唆しています。
将来的には、テトリスが、薬物乱用障害やうつ病などの疾患にも効果的かどうかを研究することが目標とのことです。
もちろん、強いフラッシュバックに悩まされている人には、テトリスではなく医療機関での治療が必要です。
とはいえ、頭から離れない「上司のキツい一言」を振り払いたい場合なら、テトリスが役立つかもしれません。
元論文
Preventing intrusive memories after trauma via a brief intervention involving Tetris computer game play in the emergency department: a proof-of-concept randomized controlled trial –PubMed
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28348380/
Reducing intrusive memories of trauma using a visuospatial interference intervention with inpatients with posttraumatic stress disorder (PTSD) –PubMed
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30507232/
Reducing intrusive memories after trauma via an imagery-competing task intervention in COVID-19 intensive care staff: a randomised controlled trial | Translational Psychiatry
https://www.nature.com/articles/s41398-023-02578-0
The neural basis of Tetris gameplay: implicating the role of visuospatial processing | Current Psychology
https://link.springer.com/article/10.1007/s12144-021-02081-z
ライター
鶴屋蛙芽: (つるやかめ)大学院では組織行動論を専攻しました。心理学、動物、脳科学、そして生活に関することを科学的に解き明かしていく学問に、広く興味を持っています。情報を楽しく、わかりやすく、正確に伝えます。趣味は外国語学習、編み物、ヨガ、お散歩。犬が好き。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。