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鎌倉幕府の成立時期に関する議論は、鎌倉幕府という権力体の本質をどのように見るかによって見解が異なります。
これまでの教科書で鎌倉幕府の成立年が1192年だったのは、1192年7月に頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された事実を多くの歴史学者が重要視していたためです。
中国の「幕府」の語が将軍の幕営を指すことや、頼朝以降の鎌倉殿の象徴的な地位を示す官職が将軍であることを考慮すると、頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された時点で鎌倉幕府は成立したと考えるのが妥当とされていたのです。
しかし現在、最も支持されている説は、1192年の征夷大将軍就任説ではなく、1185年の文治勅許説です。
文治勅許とは朝廷が頼朝に与えた諸国に守護・地頭を設置する権限のことです。
守護・地頭制が鎌倉幕府の根幹であり、文治勅許の獲得が重要だと主張している歴史学者は、1185年11月に文知勅許によって守護や地頭を置くことが朝廷から認められた時点で鎌倉幕府は成立したと考えています。
この勅許を鎌倉幕府の成立の重要な節目と位置づける考えは古くから存在し、1902年の『大日本史料 第四編之一』や1927年の『史料綜覧 巻四 鎌倉時代之一』などの史料でも見られます。
また、竹内理三氏が編纂した『平安遺文』と『鎌倉遺文』の区切りも同様で、自治体史でも1185年が時代の始まりとされることがあり、1185年は「鎌倉時代」や「中世」の始まりとして広く受け入れられているといえます。
このように現在では1185年に鎌倉幕府が成立したという説が有力ですが、1185年にいきなり完全な形の鎌倉幕府が出来たわけではありません。
というのも、鎌倉幕府は日本史上初めての幕府であり、「何をもって幕府が成立したとみなすのか」という基準もまだ出来ていなかったからです。
鎌倉幕府のなりゆきを知り十分な史料をもって論じることが出来る現在の歴史学者さえ、1185年成立派と1192年成立派に見解が分かれていますので、当時の御家人たちからすれば手探りで関東地方に成立したよく分からない権力体の整備をしていったのは想像に難くないでしょう。
このような事情がありますので、「鎌倉幕府の成立は単一の時点での論点ではなく段階的な過程を通じて実現したものであり、鎌倉幕府の成立の時点を定めること自体がナンセンス」と論じる歴史学者もいます。
余談ですが、今でこそ幕府は「武家政権」の代名詞のように使われていますが、鎌倉時代の初期はそうではありません。
「幕府」は武家政権の指導者とその居館を指す呼称として使われており、現在の「官邸」や「ホワイトハウス」のような文脈で使われていました。
鎌倉時代末には今の「鎌倉幕府」に相当するものは「東関柳営」または「東関幕府」という名称で呼ばれており、
鎌倉幕府という名称は使われていませんでした。
「幕府」という言葉が将軍の個人や政庁の場所を超え、武家政権を広く指す概念として使われるようになるのは、江戸時代中期以降です。
これは朱子学の普及とともに、中国の戦国時代の研究に従事する儒学者によって提唱されました。
「鎌倉幕府」や「室町幕府」という用語はこの時代以降に生まれたのです。
それ以前には「武家」や「公方」などと呼ばれており、当然源頼朝が「幕府を開く」と宣言したこともありません。
このように歴史の理解や解釈は専門家にとっても難しいものであり、実際教科書に記されている鎌倉幕府成立年は多くの人にとって馴染み深い語呂合わせを捨てて、書き換わりました。
こうした教科書の内容に変更があるのは歴史だけに限りません。
私たちは学生時代に教科書で学んだことを全てとせずに、日々知識を更新する努力を続けなければならないでしょう。
参考文献
鎌倉幕府の成立時期を再検討する|じっきょう資料|地歴・公民|ダウンロード|実教出版ホームページ (jikkyo.co.jp) https://www.jikkyo.co.jp/download/detail/29/9992656969