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問題となる場所は、月の裏側にある2つのクレーター(コンプトンクレーターとベルコビッチクレーター)の間に存在する地域「コンプトン・ベルコビッチ」に存在します。
この地域は多くの火山の噴火口が密集するように存在しており、ボコボコとしたあばた顔のような表面をしています。
月の火山というと妙な感じはしますが、最新の研究では20億3000万年前に噴出したと考えられる火山岩の一部がみつかっています。
一方コンプトン・ベルコビッチにある複合火山が形成されたのはもっと古く、今から35億年ほど前と考えられており、死火山となってから長い年月が経過しています。
しかしこの複合火山地域は近年、別の要因によって注目を集めています。
今から20年ほど前に行われた観測により、コンプトン・ベルコビッチには周囲よりも遥かに高濃度のトリウムが深さ数メートルにわたって堆積していることが明らかになったからです。
トリウムは原子番号90番の放射性元素であり、140億年という非常に長い半減期を持つことが知られています。
これまでの研究により、月の表側にもいくつかトリウムなど放射性元素が蓄積されている部分は確認されていましたが、コンプトン・ベルコビッチほど高い放射線を発している地域は他になく、その理由も明らかではありませんでした。
つまりこの巨大な複合火山地帯は月の中でも有数のイレギュラー地域だったのです。
そこで今回、南メソジスト大学の研究者たちは中国の月面周回衛星「嫦娥(じょうが)1号と2号」、およびNASAの月探査機から得られたデータを利用し、コンプトン・ベルコビッチに対する詳細な分析を行いました。
今回の調査では通常の赤外線だけでなくマイクロ波も観測されており、加えて重力測定も行われており、コンプトン・ベルコビッチの地下構造も解明することが可能になっています。
すると、驚くべきことにコンプトン・ベルコビッチの熱量は月で類似した地理条件の他地域と比べて20倍も高く、周囲と比べても温度が10℃も高くなっていました。
さらにマイクロ波と重力を使った観測では、地下には全長50kmにも及ぶ巨大な発熱体が存在していることが示されました。
この結果は、表面に見えているコンプトン・ベルコビッチは氷山の一角にすぎず、発熱体の本体は地下に存在することを示します。
データを分析したジーグラー氏は「実を言うと、それを見つけたときは少し当惑した」と述べています。
月の火山活動は20億年前には既に終了してあらゆる火山は死火山となっており、地球のように溶けて流れているマグマは熱源にはなりえないからです。
そこでジーグラー氏の妻でもある地球科学者エコノモス博士に相談し、異常な熱源の正体を一緒に解明することにしました。
なぜコンプトン・ベルコビッチで異常な発熱が起きているのか?
答えを得るために研究者たちは観測データの分析を進めました。
すると熱は融けた溶岩ののものではなく、岩石中に含まれる放射性元素の崩壊によって発せられていることが明らかになりました。
不安定な放射線物質は時間経過とともに放射線を発しながら崩壊してより安定な原子核構造に変化することが知られています。
このとき放出される高エネルギーの放射線が周囲の物質に吸収されると熱に変化します。
原子炉が停止した後も冷却し続けなければならない理由も、放射線を吸収した物質が極めて高温になるからであり、冷やさないとその熱で原子炉がダメージを受けてしまうからです。
また放射線物質を多量に含むという事実から、地下の発熱体が巨大な花崗岩によって構成されていることがわかりました。
花崗岩は火山の下にあるマグマが噴火しないまま冷えて固まることで形成されます。
たとえば現在のアメリカにあるイエローストーン国立公園の地下には巨大なマグマ溜りが存在することがわかっており、特徴的な景観や地熱に由来する間欠泉などが数多く存在しています。
また巨大なマグマ溜りは表面に見えている火山よりも遥かに大きく、複数の火山にマグマを供給する供給源としても機能することもあります。
コンプトン・ベルコビッチの表面には複数の噴火口がありますが、全ての噴火口は単一のマグマ溜りを供給源としていたと考えられます。
巨大なマグマ溜りは溜まりきると地表向けて破局的な噴火を起こすこともあり、たびたび気候変動の原因となってきました。
一方で、噴火せずに徐々に冷えて、巨大なマグマ溜りから巨大な花崗岩の塊へと変化する場合もあることが知られています。
このとき、溜まっているマグマで繰り返しの冷却と融解が起こると、マグマの中にあるトリウムやウラン、その他の放射性元素が次第に濃縮され、花崗岩内部に高濃度の放射性物質が蓄積されことがあるのです。
なかでもトリウムの半減期は140億年と長く、高濃度のトリウムを含む花崗岩は何十億年という長期間にわたり、熱を発し続けることになります。
そのため研究者たちは、コンプトン・ベルコビッチの地下にある花崗岩も巨大なマグマ溜りが放射性物質を蓄積しながら冷えて固まったものであると結論しました。
ただコンプトン・ベルコビッチの地下にある発熱体が巨大な花崗岩の塊であるとするなら、別の厄介な問題が発生します。
巨大な花崗岩が形成されるには水をはじめ「地球」に似た環境が必要となるからです。
35億年前の月に水があったのでしょうか?
これまでの地質学の知識によれば、花崗岩が形成されるには大量の水や地球内部での物質を循環させるプレートテクトニクスが必要であるとされています。
花崗岩は他の火山岩と違って、単にマグマが冷えて固まっただけではできてくれず、材料となる火山岩(玄武岩)の多段階溶解や液状になった玄武岩での結晶分離といった「複雑」なプロセスが必要となるからです。
地球では地殻の沈み込み(融解)と再形成(冷却)が繰り返しと水の存在によりこのプロセスが支えられているため、多くの花崗岩を目にすることができます。
しかし太陽系において地球以外の星でプレートテクトニクスや液体の水は確認されておらず、水がない状態で花崗岩を作るには極端な高熱が必要になります。
そのため現在、地球以外の星で花崗岩はほとんど存在しないと考えられています。
しかし事実として月には高濃度の放射線物質を含んだ巨大な花崗岩の塊が存在しています。
このようなパラドックスに研究者たちは、ありえる2つの可能性について言及しました。
1つは、35億年前の月は私たちが思ったよりも地球に似ていた可能性です。
そしてもう1つは、私たちの知らない花崗岩生成手段が存在する可能性です。
前者が正しければ、過去の月には局所的にしてもかなりの量の水があったことになります。
また後者が正しければ、地質学の常識がひっくり返ることになるでしょう。
最後に研究者たちは今回の研究成果を利用することで、太陽系の他の惑星で花崗岩を探す役に立つだろうと述べました。
参考文献
Scientists discover large granite mass buried on the Moon https://www.eurekalert.org/news-releases/994740元論文
Remote detection of a lunar granitic batholith at Compton–Belkovich https://www.nature.com/articles/s41586-023-06183-5