神様もまったく信じてないんだけど、じゃあお地蔵さんを蹴れるかって言ったら、蹴れませんし。もっと漠然としたことで言えば、例えば賞味期限切れのおにぎりでも、米踏めるかっていうと踏めないんだよね。人として。それはなんか緩やかに信仰はあるんだなっていう。
出典:伊集院光とらじおと
傘ちっちゃくね? pic.twitter.com/B0QAa7AwEC
—伊集院光 (@HikaruIjuin) July 1, 2015
その話題になっている伊集院さんの言葉がこちら。
神様もまったく信じてないんだけど、じゃあお地蔵さんを蹴れるかって言ったら、蹴れませんし。もっと漠然としたことで言えば、例えば賞味期限切れのおにぎりでも、米踏めるかっていうと踏めないんだよね。人として。それはなんか緩やかに信仰はあるんだなっていう。
出典:伊集院光とらじおと
たしかにお地蔵さんを蹴ったり食べ物を踏んだりするのは気が引けます(・・;)どんな人でも道徳感はいつの間にか考え方に染み込んでいるんですね。
この伊集院さんの一言を聞いて、幸福太郎さんがこの様なことをつぶやきました。
今日、伊集院さんがラジオで言っていた、『自分は無信心で神様も信じてない、だけどお地蔵さんを蹴れるかっていうと無理だし賞味期限切れのおにぎりを踏めるかっていうと無理』という話、なんか大事な気がする。
そういうのが根っこにあるものとして暮らすけど、たまにそれが無い人に出会うと怖い。—幸福太郎 (@koufukutarou9) June 27, 2016
たしかに考え方の違いはあっても、根底に同じような感覚があるからこそ、人は平和に暮らせるのかもしれません。このツイートは大きな注目を集め、多くのコメントが寄せられています。
宗教は最低限の倫理観を教えてくれるからそういう意味では必要だと思ってる。これはその良い例。 https://t.co/qkjgHITs59
—式守ウノはライリィライリーです (@not_human_UNO) June 28, 2016
こう考えたら、踏み絵って、実は信者じゃなくてもできないよなあ。踏まないと殺すぞと言われるから踏めるだけであって。普段は踏めない。 https://t.co/QuFMG21Mp0
—ひろきゅんフジロックに行く@がんばらない (@hirokyun) June 27, 2016
キリスト教圏の人は、教義が倫理観の根拠であるため、日本人が特定の宗教を信じていないと言うと驚かれる。
しかし、宗教という形をしていないだけで、RTにあるように倫理観は間違いなくある。 https://t.co/1GlRe3a3q1—あるふぁるふぁ@育休中 (@_alphalphalpha_) June 28, 2016
人が手で作ったものを踏みつけるなんて、なかなか出来たことじゃありませんよね。いろんな考え方の人が世界にはいますが、根底にある倫理観はみんな近いのかもしれません。
伊集院さんは他にも興味深いお話をたくさんしているので、気になる方はラジオ、ツイッター、ブログなどを要チェックです!
ラジオ:伊集院光とらじおと
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ブログ:伊集院光 公式ブログ