お笑いコンビ「南海キャンディーズ」が25日、よしもと幕張イオンモール劇場で、約1年ぶりとなる漫才を披露。ファンからは「おかえり!」とあたたかい声援が飛びました。




asahi.com


1年もの間、漫才にブランクが開いたのは、「しずちゃん」こと山崎静代さんがボクシングでリオデジャネイロ五輪を目指していたから。

しずちゃんは19日に引退会見を開き、その決断の理由をこのように語っています。


心と体がついていかなくなった。練習しても吐き気、過呼吸で思うようにできなくて。8月ごろにいったん距離を置いて考えて、やっぱり無理かな、と思った。

しずちゃんは、ドラマの収録で知り合った梅津正彦トレーナーとともに、12年ロンドン五輪を目指していましたが叶わず、16年のリオデジャネイロ五輪を目指していました。




asahi.com


しかし、梅津さんが13年7月に悪性黒色腫のため、亡くなりました。


1人でやらなくちゃ。自分のケツをたたいてきたけど、やっぱり、梅津さんの存在は大きかった。

しずちゃんのボクシング生活は壮絶なもので、漫才の出番と出番の間にロードワークに行き、夜にもボクシングジムへ向かい、また営業先でもジムを探し、練習をしていたとのこと。

しずちゃんがボクシング引退を発表すると、相方の山里亮太さんは自身のTwitterにしずちゃんへの思いを投稿しました。




このツイートの後、山里さんの元にしずちゃんから一通のメールが届きました。

そのタイトルは「ごめんなさい」。


「ボクシングを引退することになりました。本当に本当にごめんなさい」という内容なんですけど。

しずちゃんに謝られた理由が理解出来ない山里さん。




asahi.com


しずちゃんの中で思っていたのが、「自分はこの7年間ボクシングをしていて、4年半、本格的にやりだした。この4年半、「南海キャンディーズ」しずちゃんとして、本当はお笑いに打ち込まないといけない時間を、ボクシングに打ち込むという、言ったら僕への裏切り行為だ」と。

その裏切り行為を、山ちゃんが納得してくれているのは、自分がリオのオリンピックを目指す、リオに出る、それで商品価値を山ちゃんの中で見出せるから、その時間を私にくれていたんだ、と。

だから、私がやっても山ちゃんは文句を言わず南海キャンディーズでやってくれていたと。それがあるから、いざ自分がリオのオリンピックを諦める、つまりは山里の中での私の「この4年半に商品価値がなかった」と思わせる、その怖さが尋常ではなかったと。

それで、山ちゃん自分にくれたボクシングのための時間、これをゼロにする瞬間は怖くてしょうがないと。何より申し訳ないという気持ちがあった」と言われて、「えっ!?」と。

知らぬ間にしずちゃんを追い詰めていたことに、ショックだったという山里さん。


実は、しずちゃんがボクシングを始めた当時、2人の仲は最悪でした。

しずちゃんがボクシングを始めた頃、ライブ前にジムに行ったり、顔にあざを作って舞台に上がったりすることを、山里さんは嫌がっていました。




amazon.co.jp


現在2人の仲は良好ですが、このことをずっと引きずっていたしずちゃん。

だからこそ、しずちゃんは山里さんのTwitterが、心から嬉しかったのです。


このしずちゃんから山里さんへのメールは、このような言葉で締めくくられます。


「こんな私を、待っていてくれてありがとう。私もちゃんと、それに応えるように頑張ります」

再び揃った南海キャンディーズ。

これからの2人の活躍が楽しみですね。


出典:TBSラジオ『山里亮太 不毛な議論』2015年10月21日放送分


情報提供元: CuRAZY