ラジオからメールを読む声が聞こえてきました。「小学生の頃のことなんですけど、テストがあったんですよね。秋に鳴く虫を4種類答えなさいという問題でした。3種類はわかったのですが4種類目がどうしても出てこなかったんです。それで”泣き虫”と書いて提出しました。テストが返って来た時”泣き虫”と書いたところを見ると△になっていました。」



”泣き虫”という間違った答えに対して、担任は×ではなく△をつけてくれたという話でした。テストの点数を見ると、△の分の点数は入っていなかったそうです。メールの送り主は、「なんともほのぼのとしたよい時代でした。その担任のことは今でもしっかりと覚えています。」と締めくくっていました。

この放送を聴きながら笑ってしまいました。その笑いというのは、「なんだよ。ばかだなぁ。」という笑いではなく、「小学生らしくて可愛らしいなぁ。」という笑いです。この担任は、児童が”泣き虫”という答えを書いたことに対して、ふざけたわけではなくどうにかして答えを書こうとして、このように書くことになったと考えたのですね。

そして、△をつけたのは、「これは”虫”ってついているけれども虫の名前ではないよ。次から気をつけようね。」という気持ちの表れだったのではないでしょうか。その気持ちが伝わったからこそ、メールの送り主は、その担任のことを今でもしっかりと覚えているのでしょう。担任の心の大きさと温かさが伝わってくる放送でした。

この担任はどの児童に対しても同じように接していたのではないでしょうか。小学校に限らず、教師には児童生徒に対してこのような気持ちを持っていてほしいと思います。小学生の行動や発言の中には、まだ大人になっていないからこそというものが多くあります。

筆者は中学校と高校での教職経験を持っています。在職中に読んだ書籍の中に今でも大切にしているものがあります。光永久夫さんという方が書かれた「子ども百態」という書籍です。光永氏が教師時代に出会った子どもたちのことを書き綴っている書籍です。そこには子どもたちの活き活きとした姿が書かれていて、その年代の子どもたちの物事のとらえ方を学ばせてもらいました。

「身体検査をするからシャツ1枚になって保健室に来なさい。」と言うと、パンツまで脱いで本当にシャツ1枚だけで保健室に来た子どもたち。「机の中がいっぱいで配布物を机の中に入れられません。」という子供に、「頭を使いなさい。」と言うと、頭で机の中のものを動かしてどうにかしようとする子ども。

幼稚園の園長と小学校の校長を兼任している著者に、「園長先生はどこで校長先生に変身するの?」と質問する子ども。思い返してみると、大人はみんな似たようなことを経験しているのではないでしょうか。しかし、無邪気な時代から大人になるにしたがって常識というものを身につけ、自分がそんなことを考えていたことを忘れてしまいます。

大人になった自分を作っているものは、子供の頃からの考え方や行動です。大人から見て子供っぽいのは当たり前です。でもそれでいいのです。そういう時期が無いと成長できません。大人はそういう子供の成長過程を見守っていくことが必要だと思います。特に、教師という職業についている人には心に留めておいてほしいのです。

メールで書かれていた担任は、”泣き虫”という答えは間違っているのに×にはしませんでした。メールの送信者は、間違っていたのだから点数はもらえなかった。でも×ではなく△をつけてくれた担任のことを今でも覚えている。

教師の、児童・生徒への対応の仕方は、その後の児童・生徒の生き方に影響を及ぼします。児童・生徒が卒業した後も心の中に残してもらえる教師がいてくれることを心から望みます。

(秒刊サンデー:わらびもち)
情報提供元: 秒刊SUNDAY
記事名:「 「泣き虫」は秋に鳴く虫の仲間?小学校の担任の対応が感動的過ぎる!